親子留学

【カナダ親子留学】帰国後の子供の言語の移り変わり

現在カナダにいる息子が久しぶりにLINEをくれたので、
親子留学時代を思い出しました。

以前、帰国後のことについて記事を書きましたが、

今日は言語に特化して当時の息子の言葉の移り変わる様子を書き留めてみます。

 

カナダ到着後の子供の言語

5-6歳をカナダで過ごした息子は英語を全く話せない状態でカナダへ渡り、

到着1ヶ月後から英語をぽつぽつ話し始めました。

いったん英語を話し出すと日本語と英語を混ぜて話すようになり、

そしてみるみる日本語の量が減り英語量が増えました。

その結果、

半年経たずぐらいで日本語は完全に忘れてしまい、英語だけを話すようになりました。

 

全くの自然な状態で英語オンリーになったのかというとそうではなく、

親である私の意図が多少入っています。

5歳であったため母国語である日本語はしっかり話せる状態であり、

  • 留学という期間限定なのでカナダにいる間は英語だけでよいだろうと思ったこと。

 → わざと日本語で話しかけるのをやめた。

  • 時差のため日本にいる父親(私の夫)との生活は昼夜真逆のため、息子と父親との電話をやめてしまったこと。

 → 日本の夜、カナダの朝またはその逆では、お互いライフスタイルを合わせるのが面倒になった。

(5分でも時間を作ればできるのだけれど、

朝は準備で忙しく夜は寝かしつける等があって電話がおっくうになってしまいました)

 

夫には息子の声を聞かせていないという申し訳なさが多少あったけれど、

息子も「お父さんと電話したい!」と私に言うわけでもなく、

目の前にある遊びに夢中で、遠く離れた父親と話したいとは言わなくなりました。

初めは電話を週に1度かけていたのに2ヶ月ほどでその習慣もなくなりました。

当時はFACE TIMEもなく、Skypeはあったかな・・・?

電話の声のみという連絡手段だけでは顔も見えないため、

息子の頭の中から存在が薄くなっていったのだと思います。

 

しかし、決して「お父さん」を忘れたわけではなく、

事あるごとにお父さんの話を息子も私もしていました。

ホストファミリーやデイケアでお父さんの話をすることもありました(英語で)。

 

いよいよ日本へ帰国準備

息子の様子ですが、帰国前数日は特に興奮していました。

「お父さんに会える!」と何度も言っていたのを覚えています。

一緒に住んでいたホストファミリーに何度も嬉しそうに伝えていました。

しかし、あまりに何回も言ったせいか、

ホストファミリーには別の心配をさせてしまったようです。

 

私たち親子はカナダにいる間、カナダ人ファミリーと住んでいましたが、

40代の夫婦と14歳の娘と3歳の息子。その他にもシェアメイトが数人。

私の息子はホストファミリーの3歳の息子と仲良くなり、毎日兄弟のように過ごしていました。

お互い少しおとなしめで内気で甘えん坊なところもあり、気の合う本当の兄弟みたい。

 

そんなふうに濃い時間を過ごした後、私たちが日本へ帰る日が迫ってきました。

息子がお父さんに会える!と嬉しそうに話すのをホストファミリーは喜んでくれる一方で、

私たちが日本へ帰ることを、彼らの3歳の息子は理解できておらず、

会えなくなることがわかっていない、

急に私たちがいなくなる状況を明日からどう説明するのか?と心配を漏らしていました。

 

確かにそうです。

彼らの息子は3歳で、状況をわかっていない。

ホストファミリーとの話は別の機会に記事にしてみます。

 

日本到着直後

夫が関西空港まで迎えに来てくれました。

スーツケースを取って出口を出たところで待ってくれていましたが、

長い間会っていなかった時間を嬉しくて飛び跳ねて叫んで抱き合って埋める、

というようなことはなく、

夫はもちろん、「おかえり」と声をかけましたが息子は日本語が全く口に出てこない。

でも嬉しそうな笑顔で父親を見つめては目をそらし、

お互いが照れくさそうに時々目を合わせるだけという再会。

駐車場へ行くまでの間、手は父と息子はぎゅっと手をつないでいる。

会話ができなくて悲しい姿ということは全くありませんでした。

 

彼らの姿を後ろから見ていた私にとっては、

今言葉が出なくても息子の記憶にはしっかり父親の姿が残っていて、

いい親子の姿だなと思いました。

家に到着しても日本語で話しかける夫、答えられないけど一緒に遊ぶ息子という感じでした。

 

帰国後の2週間

さて、日本に帰国しましたが私は英語で息子に話しかけていました。

生活していれば必然的にすぐに日本語を思い出すだろうし、

せっかく話せるようになった英語を忘れるのはもったいないかなと考えて。

ただ、私は息子のことを考えているようで、

実は英語を忘れてほしくないという自分のことを中心に考えていたような気がします。

 

帰国後2、3日経って、

私たち親子の帰国を知ったママ友達から誘われてさっそく親子5組でカラオケへ。

みんな再会を喜んでくれて楽しい時間でしたが、息子は言葉がわからず状態でした。

もちろんそれでも他の子どもたちと遊んでいますが、

周りの子供たちが何を言っているのかわからない様子。

時々私のところへ来ては、英語で「I want orange juice」などと話しかけてくる息子は、

言葉がわからなくても全く気にしていない様子です。

カナダへ到着した時と全く同じでした。

5-6歳の子供にとっては言葉より遊びなのでしょうね。

 

しばらく保育園に通えないので家で昼間は私と家でふたり暮らし。

夜は夫が仕事から帰ってきますが日本語はその時と祖父母宅で聞くのみ。

でもやはりだんだんと日本語を思い出しあっという間に理解できるようになりました。

発する言葉も日本語の上手な外国人のような感じで、

少しおかしいけれど日本語が話せるというところまでくるのに

それほど時間はかかりませんでした。

帰国後10日~2週間ほどだったと思います。

 

私が英語で話しかければ英語で答えるので、私はこれでいいかなと思っていました。

そもそも息子の英語力を身につけるためにカナダへ行ったわけではなく副産物としてしか考えていなかったですし、

バイリンガルといえるほどの期間をカナダで過ごしていない。

学校で英語を習うまで英語の子供向け番組を見たり、家の中だけでよいと思いました。

息子もそれで何も問題なさそうに見えました。

その後小学校入学

私の息子への話しかけも暫くは一貫していたほうがいいかなと思い、

ずっと家の中も外でも英語で話しかけていました。

でも息子の様子はよく見ていたと、私は思い上がっていました。

 

息子は祖父母宅が大好きでよくひとりででも泊まりに行きます。

かなり時間がたってからですが、

祖母から「お母さんは英語でしか喋ってくれない」と言っていることを聞いたのです。

祖母(姑)嫁の教育方針に口をほとんど出さない人なので、

それがいい意味とも悪い意味とも祖母は言わなかったですが、私はよくない意味と取りました。

当時ちょっと悩みました。

私と英語で話すことは多少なりとも息子にとって負担なのだと。

しかもそれを私には全くそぶりを見せない。

これは息子の性格の話で言語とは別の次元の話ですが、

我が子に無理強いをしているという罪悪感に似た気持ちになりました。

いつからか、なぜ自分の母親だけが英語で話すのか?と息子は思っていたようです。

小学校以降の息子の生活

日本人の両親でもバイリンガルで育てている家庭は今はたくさんあるようで、素晴らしいと思います。

本当に親の忍耐力だなと尊敬します。

私はその忍耐力がなかった。

フルタイムの仕事、夫の長期単身赴任を言い訳にして、

子育て頑張っています!と言うわりにほとんどメンタルフォローができていませんでした。

私自身も英語は20歳を過ぎてから真剣に学んで話せるようになったこともあり、

息子が英語を学びたいと思うときでよいだろうというのも本当の気持ちだけれど、

帰国後の息子のフォローは手を抜いたのは事実です。

 

ただ、息子が18歳になって、

友達と海外へいったり一人で海外へ行くこともあったりと、

留学も自ら行きたいと言ったことも含めて英語は苦手なこともなく成長しました。

苦手どころか好きなんだろうと思います。

そして今息子がカナダにいるのは、昔自分がカナダにいたことも影響しているのだろうと思うと、

親としては嬉しい成長と感じています。

 

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